被災した東日本の日本海側の海岸線に7〜14mのコンクリートの壁をくまなく巡らすという政府のあまりに乱暴な方針に、「海と共に生きる」を市民憲章に掲げる気仙沼内湾地区の住民が異議を唱え復興計画がまとまらず、2013年、市は内湾地区の将来のあり方を広く国内外にコンペという形で案を募集。約250案の中から我々の案がベスト10に選出され、市民を前に説明できる機会がありました。我々の案は観光事業こそが将来の市の主力産業であると考え、現在の港町の景観を破壊してしまう防潮堤を否定し、山が迫っている地形を活かし住居は山側の高台に、そして海岸から高台への避難路を複数整備し(全ての海岸側から15分以内で非難可能)商業施設、公園等を海側に配置、その施設はもしものときのリスクも覚悟のうえ、仮設的施設とする。それは被災者が少しでも早く商売を再開させるためであり、同時に整然と整備された施設より自然発生的仮設的施設の方が賑わいが生まれ魅力的ではないかと考えたからです(これは復興屋台村、復興商店街の外部環境デザインを経験した実感でもあります)しかし結果、防潮堤にしか復興予算を出さない方針の政府と平行線のまま今日に至っています。
被災地はそれぞれ立地、歴史、文化、成り立ち等がある訳で、そんな街の事情を考慮した臨機応変な政策に方向転換することを政府に期待したいと思います。
チーム海の市 伊東空間研究所、伊藤弘康企画事務所、株)フジタ 他
(海の市計画の企画設計施工関係者でチームを作り応募しました)